大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和57年(ワ)15741号 判決 1986年1月28日

原告

菅沼千恵子

右訴訟代理人弁護士

松野允

右訴訟復代理人弁護士

副島文雄

被告

糸賀昭

主文

一  被告は、原告に対し、金五〇〇万円及びこれに対する昭和五八年一月三〇日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを四分し、その一を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。

四  この判決は、原告勝訴部分に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、金二〇〇〇万円及びこれに対する昭和五八年一月三〇日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1(一)  菅沼清美(以下「清美」という。)は、昭和五一年一二月一三日、入院先の東京医科大学病院において、疾病による死亡の危急に迫り、田中稔(以下「田中」という。)、高松雄三及び弁護士である被告を証人として立ち会わせ、田中に対し、原告に金四〇〇〇万円を遺贈するとの遺言を口授し、右田中がこれを書面に筆記して右清美及び他の証人に読み聞かせ、各証人は、その筆記の正確なことを承認して、それぞれ右書面に署名捺印し(以下「本件書面」という。)、遺言書を作成した。

(二)  清美は、本件書面において、被告を遺言執行者に指定するとともに、被告に対し、本件書面の保管を依頼した。

(三)  清美は、同月三一日死亡した。

(四)  被告は、清美から、本件書面において遺言執行者に指定され、かつ本件書面の保管を依頼されてこれらの任務を承諾していたのであるから、直ちに家庭裁判所に対してその確認を請求したうえ、清美死亡後は、遺言の執行に必要な行為をなすとともに執行を妨害する者があるときはこれを排除すべき義務があるにもかかわらず、右確認の手続をとらずに本件書面を遺言として無効ならしめ、しかも、清美死亡後も遺言の執行に必要な行為をせずに事態を放置して、この結果、清美の相続財産の散逸をもたらした。

(五)(1)  このため原告は、被告の右不作為により、遺言たる本件書面に基づく金四〇〇〇万円の遺贈を受けることができなくなり、同額の損害を被つたものである。

(2)  仮に右(1)が認められないとしても、原告は、被告の右不作為により、遺言たる本件書面に基づく金四〇〇〇万円の遺贈を受けることができるとの期待を裏切られ、これにより、精神的損害を被つた。これに対する慰謝料としては金二〇〇〇万円が相当である。

2  仮に1が認められないとしても、

(一) 清美は、昭和五一年一二月一三日東京医科大学病院において、遺言の趣旨として、株式会社関東機械製作所(以下「関東機械製作所」という。)の財産を売却処分して、得られた代金の中から原告に対し金四〇〇〇万円を支払う旨を記載し、遺言書と題した本件書面を田中に作成させ、被告は田中外一名と共に証人としてこれに署名捺印した。

(二) 被告は、清美から依頼されて弁護士としての立場で本件書面の作成に関与し、本件書面において遺言執行者に指定されてこれを受諾し、かつ本件書面の保管を承諾した。

(三) 請求原因1(三)に同じ。

(四) 被告は、右(二)を受任した弁護士として、本件書面が遺言としての効力を有しえないときは、外見上の受遺者である原告に対して速やかにその旨を告げ、原告が本件書面によつてその記載内容のとおりの遺贈を受ける権利を有するものと誤信して清美の遺産に対する権利行使の機会を失することがないようにすべき注意義務がある。

(五) しかるに、被告は、右(四)の義務を怠り、原告に対して本訴に至るまで本件書面が遺言としての効力を有しえないことを告げなかつたものであるから、これによつて原告の被つた損害を賠償すべき責任がある。

(六) 原告は、清美の妻であり、本件書面が遺言としての効力を有しないときは、法定相続分として清美の相続財産の三分の一を取得する権利を有していたところ、本件書面が遺言として有効であり、これによつて金四〇〇〇万円の遺贈を受けることができるものと誤信して、清美の遺産分割を申し立てるなど相続人としての権利を行使しないでいるうちに、清美の相続財産は他の相続人等によつてほしいままに処分され、散逸して何らの財産をも相続することができなかつた。

原告が配偶者の法定相続分である三分の一あて相続することができたはずの財産の価額は金四〇〇〇万円を下らない。

よつて、原告は、被告に対し、債務不履行又は不法行為による損害賠償請求権に基づき、内金二〇〇〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和五八年一月三〇日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1(一)  請求原因1(一)の事実のうち、昭和五一年一二月一三日東京医科大学病院において、田中が遺言書と題する本件書面に原告に対して金四〇〇〇万円を支払う旨の記載をし、田中、高松雄三及び被告がこれに署名捺印したことは認めるが、その余は否認する。本件書面は、清美の遺族の申し合わせ事項を遺言の形式により文書化したものにすぎず、清美の遺言書ではない。なぜなら、本件書面は、関東機械製作所所有の土地建物、設備等一切の財産を売却処分し、諸経費及び抵当権者に弁済した残額から、原告に対して金四〇〇〇万円を支払う旨の記載をその内容としているところ、同社の財産は、清美の相続財産に含まれるものではないからである。

(二)  同1(二)の事実のうち、被告が本件書面を保管していたことを認め、その余を否認する。

(三)  同1(三)の事実を認める。

(四)  同1(四)の事実のうち、被告が家庭裁判所に対してその確認の手続をとらなかつたこと、清美死亡後に遺言の執行に必要な行為をしなかつたことを認め、その余を否認する。

(五)  同1(五)の事実を否認する。

2(一)  請求原因2(一)の事実中、田中が原告主張のとおりの記載のある、遺言書と題した本件書面を作成し、被告が田中外一名と共に証人としてこれに署名捺印したことは認めるが、その余は否認する。

(二)  同2(二)の事実は認める。

(三)  同2(三)の事実は認める。

(四)  同2(四)の注意義務の存在は争う。

(五)  同2(五)及び(六)の事実は明らかに争わない。

三  抗弁

1  無過失

被告は、清美の相続人が誰一人として清美の死亡を被告に連絡しなかつたため、これを速やかに了知することができず、その結果請求原因1(四)の義務を履行することができなかつたもので、右不履行につき無過失である。

2  過失相殺

原告が清美の死後財産の分配を受けることができなかつたについては原告にも過失がある。

四  抗弁に対する認否

いずれも争う。

第三  証拠<省略>

理由

一請求原因1について

1  まず、昭和五一年一二月一三日東京医科大学病院において、田中が遺言書と題する本件書面に、関東機械製作所所有の財産を売却処分し、得られた代金の中から原告に金四〇〇〇万円を支払うとの内容の記載をし、田中、高松雄三及び弁護士である被告がこれに署名捺印したことは当事者間に争いがない。右争いのない事実に<証拠>を総合すれば、清美は、右日時場所において、死亡の危急に迫り、証人として田中、高松雄三及び被告が立会のうえ、田中に対し、右内容の事項を遺言として口授し、田中がこれを書面に筆記して清美及び他の証人に読み聞かせ、各証人は、その筆記の正確なことを承認して、それぞれ右書面に署名捺印し、これにより遺言書の方式を具備した本件書面が作成されたことを認めることができ、<証拠>中右認定に反する部分は、前掲各証拠に照らしてにわかに措信できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

2  ところで、原告に対する右支払の約束は、金銭をその目的とするものであるが、前掲甲第一号証によれば、右の支払は関東機械製作所の財産を処分清算した残余をもつてなされることとされていることを認めることができ、右の事実に鑑みると、これは、むしろ、同会社の財産につき、その分割方法を指定した趣旨と解するのが相当である。この点について、原告本人尋問の結果(第一、第二回)中には、同社の財産全部が清美の財産であるかのような供述部分があるが、清美と関東機械製作所は法律上別人格であるから、仮に実質的には右供述のとおりであるとしても同社の財産が清美の相続財産を構成するものでないことは明らかであり、右のような内容の指定はそもそも遺言としてなすことはできないものというべきである。従つて、本件書面は、その後の手続如何にかかわらず、遺言としての効力を有しえないのであるから、これによつて原告が受遺者としての権利を取得することはありえず、右取得を期待すべき法律上の利益もない。してみれば、その余について判断するまでもなく、請求原因1は理由がない。

二請求原因2について

1  請求原因2(一)の事実が認められることは、前項1で判示したとおりである。 同2(二)、(三)の事実は当事者間に争いがない。

2 右1で確定した事実によれば、被告は外見上遺言書の方式を具備した本件遺言書の作成に法律の専門家である弁護士として関与し、その執行の任務を負う遺言執行者への就職を予め承諾したことになる。そして、本件書面が遺言としての効力を有しないことは前記判示したとおりであるけれども、その記載の方式からみれば、法律の専門家でない一般人がこれを見た場合には遺言書としての効力を有するものと誤信するおそれは決して少なくないものというべきであるから、右のような立場にある被告としては、すくなくとも外見上の受遺者である原告に対しては速やかに本件書面が遺言書として効力を有しえないことを告げ、原告が本件書面によつてその記載内容のとおりの遺贈を受ける権利を有するものと誤信して清美の遺産に対する権利行使の機会を失することがないようにすべき専門家としての注意義務があるものと解するのが相当である。

3 請求原因2(五)、(六)の事実は被告においてこれを自白したものとみなす。

4 抗弁2の主張について

<証拠>を総合すれば、原告は、清美死亡後、被告に対してしばしば本件書面による金四〇〇〇万円の交付につき問い合わせをしたが、被告からは、(株)関東機械製作所精算内訳と題する書面(甲第二号証)の交付を受けただけで詳しい事情の説明はなされなかつたため、やむなく他の弁護士に相談に行つたこと、その後、原告は、昭和五四年二月五日、被告及び田中を相手方として、東京家庭裁判所に対し、金四〇〇〇万円の支払を求める調停を申し立てたこと、右調停は不調となり、原告は、本訴請求をするに至つたこと、以上の事実が認められる。右事実によれば、原告が、当初、本件書面を遺言と考えて被告に対してその履行を求めたことはやむをえないものであるけれども、その後、これに関して弁護士に相談した時点においては、右相談により、本件書面が遺言とは認められないことを十分知りえたはずであり、そうすると、原告は、速やかに遺産分割、相続回復請求等の方法をとることにより、自己の法定相続分に相当する分の清美の相続財産を確保することができたと言わなければならない。

右事情の下では、原告には自己の相続上の権利の確保について落ち度があつたと言わざるを得ず、被告の責任を検討するにあたつては、公平の見地からこれを斟酌するのが相当である。そして弁論の全趣旨によれば、原告には、前記損害のうち、金五〇〇万円程度の賠償を得せしめれば、自己の権利主張の機会を失したことによつて被つた損害の賠償として、十分であると考えられる。

三以上によれば、原告の本訴請求は、金五〇〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和五八年一月三〇日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項を、それぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官村重慶一 裁判官信濃孝一 裁判官髙野輝久)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例